恐怖の休日当番
以下は、知り合いのエガワ先生が、私に語った恐怖の体験であるが、えがわ歯科矯正歯科とは無関係である。
今年のゴールデンウィ−クは、休日当番であった。歯科医師会の事業だが、急患の方々の、当座の苦痛を取り除く事が、主たる仕事である。
ゴールデンウィ−クの中日とて、混み合う中、『痛がるから、なんとかしろ』と言うので、順番を繰り上げて入れてあげた、4歳の子供がいた。
当然、来院目的、主訴は、はっきりしているハズである。
予診表をチェックし、本人を歯科ユニットに寝かせたあと、わざと母親に、ユニット脇についてもらった。(小児の急患は、いつもこういう診療スタイルなのだ)
左下の、第一乳臼歯の、ムシ歯による急性歯髄炎であった。
小児の、それも急患にマスイ注射を、“平和裏”にすます事は難しい。Dr.と付き添いの家族の、あうんの呼吸、お互いのフォロ−アップが最大のキ−ポイントである。
このケ−スも、本人の注意をそらすため、母親に、おなかを擦っていてくださいと頼み、同時に、母親に、まず無言で注射のしぐさをして見せた。
マスイが“終った”ころ、はたして子供は、火が点いたように泣きはじめた。(注射そのものは、熟練すれば、ほぼ無痛ですます事は可能だが、ハグキに浸潤させたマスイ液が口中に漏れる事があり、これが物凄く苦いのだ)
そのとたん、『何をするんです!』と私を一喝する声が聞こえた。
同時に、母親が子供を、文字通りユニットから引き剥がし、悪鬼の誘拐犯から我が子を救助した感動的状況そのままに、ひしと抱きしめているではないか。
その後の展開は、シュ−ルそのものである。
金髪に染めた若い父親が、いきなり割り込んできて、『このヤロ−、何をした!』と怒声をあげ、たちまち診療室は、私のオフィス始まって以来の、収拾のつかない騒乱の巷と化した。
彼らの喚き声から、ところどころ意味のわかる部分をつなぎ合わせると、初対面から十分間もたっていないのに、私は、稀代の大悪人である事を見抜かれたらしい。
さらに、自分でも気づかないうちに超能力がそなわったらしく、あった事もないハズの、彼と全家族を、歯科診療で、散々な目に合わせたと言うのだ。(パソコンで調べたが、全くそのような事実はない)
私が必死で説明する治療法は、悪魔の行為にも等しく、自分達の人生がままならないのも、私のせいらしかった。
その他、思い出すのも憚られる狼藉の数々に、こちらが閉口していると、結局、窓口料金も払わずに帰ったが、そもそも、痛くてたまらないハズの子供は、どうなったのだろうと思う。
固唾を呑んで見守っていた、診療室内の患者さんは、事情がわかる事もあり、『センセイ、よくガマンしたね』とかの声もあったが、なにせ当日のメンツは、全く面識のない患者さん達である。
父親の喚き声を、私が怒鳴っていると勘違いした方もいたらしく、外の、待合室の患者さんの何人かが、クモの子を散らすように帰って行ったそうだ。
この散々だった休日当番の翌日、(まだゴ−ルデンウィ−ク中だったが、急患で来たヒトのウチ、何人かが心配だったので、自主的に待機していたのだ)古い患者さんの○○さんから電話が来た。
彼女と、そのご家族は、十数年来、私にかかってくれており、沼津から車で1時間ほどのG市に住んでいらっしゃる。
3歳のお子さんの歯痛を診てくれないか、とおっしゃるので、もちろん快諾し、同様の手順でマスイ注射し、診療を完遂したが、古い馴染みとて、つい、くだんの休日当番の日のグチをこぼした。
ふと見ると、彼女のお顔が紅潮して、鼻の穴がヒクヒクと広がっている。怒っているらしいが、丸顔で、ヒトのよさが滲み出ているお顔なので、食べすぎで苦しんでいるようにも見える。
『センセイ、もちろんソイツを、ぶっ飛ばしてやったんでしょうね』
『とんでもない、そんな事できるわけないよ』
『だらしないわね、今度そんな事があったら、アタシを呼んでちょうだい。フライパンもって飛んで来るから』
思わず、目頭が熱くなった。
『有難う、それで相手をやっつけてくれるんだね』
『いいえ、だらしないセンセイをぶっ飛ばすの』