矯正治療と審美
審美には明確な基準はない。
そこで、審美の観点で矯正治療を評価するなら、上出来不出来の判断はヒトの主観が大きい。
そもそも審美は、数字で表されるものとは本質が違うのだ。
ミロのビ−ナスとモナリザの優劣を、数値で示せるヒトはいないだろうし、ミスワ−ルドのコンテストで、出場者のレントゲン写真に定規や分度器をあてて、美を判断したというのは聞かない。
もちろん、矯正学には他にもいろいろな専門的治療基準があり、“よい治療、イマイチ、問題外”くらいの分別は可能だが、こと審美に的を絞れば、改善余地が多いと思われる治療結果でも、 センセイが『これがオレの美だ』とか言い張れば、それが間違っているとまでは言えない。患者さんが、よりつかなくなるだけだ。
作者不明 ミロのヴィーナス |
Leonardo da Vinci(1452-1519) モナリザの微笑み |
問題は、難症例はやはりそれなりにしか治らないことで、これは努力を買ってもらう他ないだろう。
更なる問題は、何故か私に難症例が集中することだ。
Munch(1863-1944) 叫び,1893,71×73.5cm |
Archimboldo(1527-1593) Winter,1573,76×64cm |
難症例…? |
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