救世主?
救世主は、イエスだけではない、街で“消費者の救世主”とかの看板が多く見られる事から、明白である。
人々が救世主と認めるには、時宜も必要である。
2000年の昔、エルサレムにメシヤ(食堂ではない)を称するヒトは、記録に残っているだけでも200人を超えたが、KY(空気読めない)みたいなところがあり、イエスを含め、全員が同族とロ−マ人により処刑されたと聞き及ぶ。
教義といっても大同小異であった、これらの“当時”の新興宗教のうち、イエスの教えだけが、実に、その死後数十年を経て、パウロという男により堀りおこされ、やがて現代に至る世界的宗教となったとされる。
ここに、歴史的、謎とロマンがテンコ盛りされるわけだが、救世主たる時宜を得るとは、こういう事なのだろう。
歯科用インプラントも、歯科では救世主とされる。
イエスと違い(歯の)甦りや復活は、チタンの支柱のドテへの固着でなされるが、臨床の現場の、時宜が得られるかどうかで救世主にも、KY状態にもなる。
インプラントの手術自体は、条件次第といっても、意外にカンタンであるが、運用につき、十戒のモ−ゼの神みたいに結構気難しく、やたら試練の数々で我々を閉口させるようなところがある。
例えば歯がなくなって、ドテがひどくへこんでいるヒトなど、ドテに植えられるインプラントの長さは短くなるし、いわゆる“歯”の部分は長くならざるを得ない。
程度にもよるが、ブザマで頭でっかちになるのは必定であり、同時に安定性も失われるだろう。(“ドテを付け足す”というアバンギャルドな治療法はあるが、こうなればなったで、治療期間や肉体的負担は増加し、やがて、治療のための治療という、血沸き、肉踊る状況になる)
前歯の審美にからむ場合、もっとシビヤ−な問題が起きかねない。両サイドが健全歯のインプラント治療など、ハグキとのマッチング、3次元的な収まりなど、微妙な違和感がどうにもならない事は案外多い。
インプラントを都合で除去する事は、事実上不可能であるし、やり直しは容易ではない。基本的に生涯の伴侶となるが、なんだか身につまされるところがある。
これらの一部、もしくは大部分が、イレバなら簡単に解決しうるものである事を、敢えて言っておきたい。
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義歯とインプラント
義歯とインプラント(写真むかって右側、つまり、お口の中では、左側の金歯にみえる部分)を同一口腔内に適用したケースだが、”ほぼ互角”との患者さんのコメント! |
歯科のインプラントとは、要するにハグキを貫通して骨にくっついている金属片である。
天然歯と違いハグキにはくっついていないので、ここが弱点だが予後に問題はない事が大部分である為、治療法として十分成り立っている。
このようにインプラントはよいものだが、“上出来”であれば、義歯も決してインプラントに劣るものではない。
インプラントも義歯も、間違いなくケースバイケ−スなのだ。
しかも、金属の生体へのインプラントという概念は、何十年かののちに再生医療に取って代わられるハズだが、むしろ義歯は生き残るだろう。
そんな中、私淑する奈良にご在住の杉中功一先生は、義歯のインプラントに対する弱点の一部を克服し、スギナカリ−ゲルシステムを開発された、優秀な歯科医師である。
不肖の自称弟子とて、多少モデファイして使っているが、同システムは今では私の臨床の有難いパートナ−である。
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