歯痛のハナシ
歯痛の治療
「神経をとる」という治療は、歯医者の専売特許である。(お医者さんは腹痛の患者さんに、おなかの神経をとろうとは言わない、…と思う。)
歯痛がある場合、選択枝は2つしかない。
なんとか神経を残して治療するか、いっそとるか、である。
どちらがよいか、と言えば、残すほうがよいに決まっている。とる以外方法がないと見極めがつくまで、少なくとも経過観察的治療はすべきなのだ。
これには、伝統的に数多くの方法があるが、近年ではレーザ−や抗生物質の応用が有望である。(もちろん、万能ではないが。) |
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なぜなら、ある程度現在の苦痛をガマンしてもらう事が前提となるし、努力が実を結ばず、結局神経をとらざるを得なくなったりする可能性もあるのだ。(なんという幸せだろうか。努力や善意は、必ずしも報われないという人生訓まで、治療により得られるのだ。)
ついで、やむをえない結果としての神経をとる治療だが、上手くやればそう悪いものではない。なにしろ、痛みはすぐなくなる。
ただし、治療がすべてそうであるように、よい事ばかりではない。それに続く、根っこの治療が控えている。
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歯の根っこは複雑な形態のものも多く、この治療は術者サイドに、かなりのスキルと根性が試される事となる。
当然、この兼ね合いが、治療結果(上出来、不出来、問題外)に大いに関係するのは言うまでもない。
もちろん、懸命に上出来を目指すが、あきらかに平均的人間の能力を超えている天然記念物みたいなヘアピン状の歯の根っこに出くわした時など、「努力だけは買ってくれ」と言いたくなる場合もある。
正直に述べるが、こんな高難度の根っこの治療など、数年に一度マグレでうまく治療できたものは、私の歯科医院の永久記念としているほどだ。
とは言え、対策は講じてある。
この間レストランで、上海蟹の身を細いツメの先まで実に器用にほじくり出して食べる男の子を発見した。
こうなればしめたものである。
彼はまだ5歳くらいだが、いずれ小学校にあがる頃には、小さいサワガニあたりに挑戦させるのだ。
やがて大きくなった頃、歯医者にスカウトすれば、歯の根っこをほじくる治療では世界的権威になるのも夢ではない。
残る問題は、患者さんに30年後くらいのアポイントをどう納得させるかだ。
抗菌剤によるムシ歯治療
3種類の抗菌剤を含む 薬剤を置く。 |
樹脂などでふたをする。 | |||
ドロドロになった部分を 取り除くほかは歯を削らない |
薬剤が浸透し、細管や |
歯の自己回復力でカルシウ ムが沈着し、元の歯に戻る。 |
余話(ヘンな歯痛)
世界の七不思議ほどではないが、歯医者の世界にも(私が歯医者をしている事など)不思議は多い。
最大の不思議のひとつは、歯医者の基本技術である歯痛治療に関するものである。(どうしてどうして奥が深いのだ)
実は、歯医者が対応できるのは、主としてムシ歯と歯槽膿漏による歯痛であり、これ以外の“歯痛としか思えない感覚”を引き起こす原因は、星の数ほどある。
幸い、症例の頻度としては極めて少ないため、歯医者は歯医者でいられるようなところがある。(神経を抜いたところで、歯を抜いてさえ!ある種の歯痛は改善しないのだ)
さんぬる時、常に学究を怠らない精神からではなく、要するにやむなく“求心路遮断性疼痛症候群”など、火星語としか思えない語句が満載の、痛みに関する一般医学書など購入した事がある。
不眠不休の猛勉強を数分間実施し、あと50年ほどで理解のメドがつくところまではいったが、何分、歯医者とは畑が違いすぎた。
あまりといえば基本的知識が不足しており、白痴と思われるのが嫌さに、有識者への質問も差し控える、奥ゆかしさだけは身についた。
わからない事だらけの徒然に、昔、以下のようなコラムを書いた事がある。
“歯医者にかかっているのに歯痛が治らないとボヤくヒトが、横丁に一人はいる歯医者評論家とかの井戸端会議の結果、ヤブではないかと転医を勧められ、ピタリと治った。治療法は全く同等であったが、結果がまるで違うところから、やはり名医は違うと皆で英断を称えあったはいいが、同様の状況で、くだんの名医からヤブ先生のところへ転医する患者さんがいた”
という内容であった。
この手の歯痛は、痛んだり治ったりの発作的周期性がある場合があり、星の巡り会わせがよいと、案外、名医になれたりする。(現実は甘くないが)
つまり、もともと歯医者の扱える歯痛ではなかった、というのがハナシのミソなのだが、日常の診療でも、こういう患者さんに遭遇する事はある。
ここ10年、専門医が充実してきており、紹介という形でかなりスム−スに対応できるようになったが、一般の患者さんへの啓蒙という点ではまだまだの感がある。