私とインプラント
いささかの羞恥を覚えるが、長年、インプラントの勉強を“試みて”きた。
生憎、十を聞いて、一も知らないという特異体質である。日々、無芸大食、いたずらに馬齢をかさね、今日の、私以外の何者でもない者になった。実際、かの治療法には奥深いものがあり、必ずしもすべてが、市井の開業歯医者むきではない。技術的守備範囲というか、ハ−ドルの高さは、おのずと決めておくべきだろう。そうでないと、日ならずして、出家するハメになる(気がする、まだまだ俗世が好きなのだ)。
思えば、25年の昔、インプラントという治療法に始めて接した時、福音以外の何者でもないと信じたものだった。知識が増えるにしたがって、役満と思ったものが、チョンボに変わる事もあるのを知ったが、ロマンはいささかも衰えなかった。これこそ、人類長年の夢ではなかろうか、とさえ思った。そもそも、その歴史たるや長い。古代ロ−マの墳墓の主や、エジプトのミイラなどには、あやしげなインプラントをしているものがあるという。レオナルド・ダ・ビンチなど、貴族の子弟のため、やはり、インプラントらしき治療を施したとされるが、結果は思わしくなかったのは明白である。(なにしろ、当時の患者で、生きている者がいないのだ)
近代の歯科インプラントは、無論、ミイラのものとは、概念からして、まるで違うものであるが、 治療上の制約はある(むしろ多くなったほどだ、成功しなければならないな ど)。さらに、高価だし、時間やら、肉体的負担やら、欠点は、あきらかに存在するが、適切な対応により、素晴らしい結果を生む事は多い。即時荷重型インプラントなど、トピックは続き、治療技術は、まだまだ、発展の余地がありそうである。他方、いわゆる義歯は、勿論、立派なものは立派だが、概して、どうしてもゴテゴテした感じになりがちだし、噛む力も、天然歯と、同等というわけにはいかない。やはり、近代補綴に、インプラントはかけがえのないメンツである。
閑話休題:“近代”インプラントの本家本元は、スウェ−デンである。 もっとも、彼の国が、歯科の最先進国だったかというと、そうでもなかったらしい。 インプラントが普及せざるを得なくなった、 医療事情が背景にあるというのだ。 昔、スウェ−デンでは、歯科の健康保険は、抜歯にしか利かなかったらしく、人々は、歯科治療費を安くあげる(健康保険を使う)には、抜歯しか選択がなかった。 そのため、ヒドイ時期 は、全人口の 30% が、全くの歯ぬけ状態で生活を余儀なくされたという、信じられないようなハナシがある(スカンジナビアの漁港など、今でも、ポパイ顔の漁師さんが多い)。これで国中がフガフガの、如何ともしがたい状態になったのは、想像に難くなく、 とにかく噛む事だけはバツグンの、インプラントが大幅に普及したのも、無理 からぬところがあった。 思うに、インプラントをせざるを得ない状態になる前に、なすべき事は多いのではないか。
ハグキの穴ボコ状の部分がインプラント本体。 | 既製および、カスタムアバットメントの装着。 |
セラミックスの上部構造物装着にて完成。 (マッシブなフンイキすら漂う出来栄えだと思うけど) なにより〇〇さん、本当にお疲れ様。 長年、私を信用してくれて、ありがとうございます。 |